娘の名前は「りん」ひらがなでりんにした理由は凛としたイメージと言うよりかは柔らかく可愛らしく、そして素直で優しく、みんなから愛される子に育ってほしいとの思いで名付けました。そんな娘は人見知りせず、言葉がママしか話せない中でもジェスチャーで人を笑顔にし愛嬌のある子に育ちました。どんな時も愛嬌たっぷりの娘に私が支えてもらっていたように思います。娘を思い浮かべると痛かったことや辛かったことも多かったはずなのに、娘の笑顔の顔しか思い浮かびません。そんな娘が残した最高の絵は娘の笑顔のように優しく可愛らしい作品だなと思います。(保護者)
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娘は左脚の骨盤付近に6センチほどの腫瘍がある状態で生まれてきました。生まれた病院では対応できないと言われ、私と離れ、生まれてすぐに救急車で別の大学病院へ搬送されました。
どこの病院へ行っても「同じ症例を見たことがない」と言われ、病名も分からない状態でした。しかし、命に関わる病気ではないとも言われていました。
症例がないため手探りで、さまざまな薬や抗がん剤を試しては良くなり、また腫瘍が大きくなることを繰り返していました。
徐々に腫瘍が大きくなるスピードが早くなり、娘もよく転ぶようになりました。転院をして検査をし、ようやく娘の病気が「線維肉腫」だと判明し、効果が期待できる薬も見つかり、すぐに試しましたが効果はありませんでした。
これ以上試せる治療がないこと、そして腫瘍を残しておくと転移する可能性があることから、
左脚と骨盤を切断することになりました。その3か月後には肺に転移し、両肺の一部を摘出しました。
これでもうきっと大丈夫。そう思っていました。
ですが、退院して数週間後には胸に転移していました。幾度も効果がある可能性のある新しい薬や抗がん剤を試しましたが効果がなく、医師からは「これ以上の治療法はなく、胸にある腫瘍が大きくなるのを抑えることしかできない」と告げられました。
娘は何度も痛い思いをし、苦い薬を吐き戻しながらも、本当に何度も何度も頑張ってくれました。
このまま効果がほとんど期待できない苦しい治療を続けさせ、少しでも長く生きられる可能性にかけるのか。それとも、限られた娘との時間を自宅で一緒に過ごすのか。
それは私にとって究極の選択でした。
そんな娘に「りんちゃん、もう帰る?」と聞くと、大きくうなずいて「うん!」と答えてくれました。
そして娘と自宅へ帰り、訪問看護をお願いしながら、1か月間静かに一緒に過ごすことができました。
何度も「この決断は間違っていなかっただろうか」と、いまだに思うことがあります。
ですが、娘は生まれてから最後の最後まで苦しい治療や手術を頑張り抜きました。そして、その苦痛や辛い状況から解放してあげることができたこと。何より、本人がお家に帰りたいという意思を示してくれたこと。
それらを思うと、母親として間違った選択ではなかったと思っています。
会えない辛さや悲しみは、一生癒えることはありません。
でも、子どもが生まれると母体にも赤ちゃんの細胞が残るという研究があることを知りました。娘の細胞は私の身体の中に残り、生き続けています。
私には、これからも娘という一番強い味方がいます。
「ママ、きっと大丈夫だよ」
そう言ってくれているような気がしています。だから私も、娘のように笑顔で生きていこう。そう思います。
2歳9か月というあまりにも早い旅立ちでしたが、お世話になった宮城県立こども病院、さいたま小児医療センター、慶應義塾大学病院、そして訪問看護でお世話になりました先生方や看護師の皆様、そして医療に携わってくださった全ての皆様に、心より感謝申し上げます。
皆様のおかげで娘と幸せな時間を過ごすことができました。ありがとうございました。(保護者)